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【アラベスク】  第10章 カラクリ迷路



第2節 土曜日のギャンブル [6]




 だが緩には反論する言葉も思い浮かばず、聡を止める術もない。
 撤回はできない。
 でも……
 でもっ! あの世界を何も知らない他人に知られるのは嫌っ!
 唯一自分を受け入れてくれる、誰にも責められず否定しないでくれる自分だけの楽園を、何も知らない人間に土足で踏み込まれるような真似だけは避けたい。
 どうすれば? どうすれば―――
 向かい合う聡の視線は卑猥で、酌量の気配は微塵も感じられない。
 無理だ。バラされる。
 この場で瑠駆真に自分の隠し事がバラされるのかと思うと、それを知った瑠駆真が自分にどのような視線を向けてくるのかという事を想像すると、緩はもう我慢できずに聡を押し退けて逃げ出そうとした。
 ―――――っ!
 長身の聡を突き飛ばすのだ。適当な力では敵うはずもない。緩はありったけの力で両腕を振り、体当たりをするつもりで全身を捩った。
 勢いに、何かが飛んだ。
 軽いものだったのだろう。下が土という事もあり、音はしなかった。だが身につけていたものだった為、緩は気付いた。目の前を何かが横切ったと、聡も気付いた。そして瑠駆真も、足元に気付いた。
「何?」
 瑠駆真が手を伸ばすと同時に、緩は両手で口を抑える。気付かず瑠駆真は摘んで拾う。
「何これ。ストラップ? じゃないみたいだな。キーホルダ?」
 呟きながら一度持ち主の緩へ視線を投げ、別に悪気はなかったが、再び手元へと視線を戻した。
 革製のキーホルダ。表には、校章のような紋章のようなデザイン。クルリと向けた裏には――――
「ん? 『いつでも、お前の笑顔を楽しみにしている』 ?」
「やめてっ!」
 緩が夢中で瑠駆真に飛びつく。仰天する瑠駆真に構うことなく掌のものを引ったくり、隠すようにして両手で包み、胸で抱き、背を丸める。
 その背中に、卑猥な声。
「お前の笑顔… ねぇ。セリフが寒すぎて恥ずかしい」
 鼻で笑うと、聡はヒラヒラと右手を振った。
「なに? お前、ゲームの中のセリフまで持ち歩いてんの。重症だな」
「ゲーム?」
 聞き返す瑠駆真へ向かって、聡はもう一度鼻で笑う。
「あぁ コイツ、家でくだらない―――」
「やめてよっ!」
 叫んで遮ろうとする緩。無情に見下ろす聡。
「うるせぇよ。喚くと見つかるぜ」
 ピシャリと言い放ってペロリと唇を舐めた。そうして両手をポケットに突っ込み、少し俯きながら口を開く。
「コイツ、家でさぁ、恋愛ゲームにハマってんだぜ。テレビに向かってニヤニヤ薄ら笑いなんか浮かべやがってよぉ。ホント気味が悪い」
 気味が悪い。
 緩は両手で口元を覆い、だが両目は大きく見開いたまま俯いた。湧き上がるのは羞恥か? 怒りか?
 山脇瑠駆真に対して何か特別な感情を持っているというわけではない。だがやはり、他人に知られたという事実が緩を恐怖に陥れる。
 どうなるのだろう? 山脇瑠駆真は、どのような反応を示すのだろうか? 義兄と同じように、自分を(さげす)嘲笑(あざけわら)うだろうか?
 そうに違いない。だって彼にとって緩は、美鶴を謹慎処分に追いやった張本人なのだから。嫌う相手の恥を知れば、指をさして嗤いたいと思うのは、人間ならば当然だ。
 それに聡。
 今までは撤回を条件に口を(つぐ)んできた。だが、山脇瑠駆真にバラしてしまった。
 一人にバラせば、もはや二人にバラそうが十人にバラそうが同じことだ。留め金が外れたかのように、次々と校内で触れ回るかもしれない。
 真白い布に一点落ちた墨のような黒が、急速に染み渡っていく。やがて緩の目の前が真っ黒に塗りつぶされ、何も見えず、ただ耳に響き渡る同級生の嘲笑(ちょうしょう)だけが異常なほどに鮮明だ。

「やだぁ、金本さんったら、家に篭って恋愛ゲームなんてやってるんですって」
「まぁ 根暗(ねくら)
「気持ち悪いっ」

 前に、同級生の噂話を聞いた事がある。

「最近は女性の方でもゲームに熱中する方が多いのですって。新聞で読みましたわ」
「ゲームって、テレビゲーム?」
「パソコンでもいろいろあるそうですわよ」
「まぁっ! 一般人は暇よねぇ」
「ほぉんとっ! 他にやらなくてはならない事なんてたくさんあるのに」
「このような現象が(ちまた)流行(はや)るなんて、これだから庶民にはなりたくありませんわ」
「でも、この学校にもゲームにハマってる生徒がいたりして…」
「なんでも、一組の男子がゲームショップに出入りしているのを目撃した方がいるそうですよ」
「きゃっ! 気持ち悪い」

 恥だ。

 微かに震える全身を両足で必死に支える。
 どうしよう? 口外せぬよう懇願するか?
 だが、その考えはすぐに否定される。
 無理だ。義兄は、懇願などしても受け入れてくれるような優しさなど欠片も持ち合わせてはいない。撤回すると、大迫美鶴の謹慎を解いてみせると言い張ったところで、もはや聞く耳など持たないだろう。どんなに下手(したて)に出たって、その姿を無様だと笑い飛ばすだけだ。そういう無慈悲な人間だ。
 山脇瑠駆真は?
 彼がどんな人間なのか、緩は詳しくは知らない。ただ、この半年ほど見ている限りでは、感情の乏しい人間のように感じる。
 大迫美鶴に想いを寄せているのだから、無感情な人間ではないだろう。だが、興味の持てない物事には、とことん無関心で冷たい人間のように感じる。
 緩が校内で嗤われようと蔑まされようと、何とも思わないだろう。
 無理だ。
 絶望が緩を覆う。
 もはや自分の素性が知れ渡るのを食い止める術はない。







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